今日は事件があった。そろそろ仕事に出かけるかなと思い準備をしていると部屋の外にぞろぞろと人が集まり始めた。6人居る。非常階段の方にも2人くらい居るようだ。ほとんど男性だがうち1人だけは女性だった。皆私服だが彼らが何者であるのかはすぐに分かった。福祉や役所の人間で無いことは彼らの顔付きや少し張り詰めた空気で分かる。時刻は10時を少し過ぎている。警察が身柄を確保に赴くのは早朝であるという認識を持っていたがドヤの玄関が開く時間を待ってこの時間にやって来たのだろうか。警察官達は3分ほど静かに廊下に立っていた。配置の確認をしているのだろう。この段階ではどの部屋の人物が身柄を確保される犯罪者であるかは分からない。僕も警察官と供に緊張しながら確保の瞬間を待った。この時1人だけ僕を鬱陶しそうに見つめる警察官が居た。どうやら僕が仲間だという認識を持っていないらしい。

時間が来た。1人の警官が容疑者の部屋の扉を叩く。うちのドヤにもチャイムがあればチャイムを鳴らしていたのかもしれない。警官は自分の身元も来訪の理由も告げない。ただ○○さん扉を開けて下さいと言うのみだ。何度も廊下や手洗いで擦れ違った人だが僕はこの時初めて容疑者の名前を知った。断続的に3回ノックが繰り返され警官が2回扉を開けるよう要請した後にようやく扉が開いた。5人ほどの警官が一斉に部屋の前に集まる。小声でやり取りをしているから何を言っているのか分からない。恐らく罪状を言っているのだろう。少しすると警察官たちが続々と部屋の中に消えていった。部屋の中を覗くと3畳の狭い部屋に容疑者の他に警官が4人入っている。皆立っている。まだ僕1人くらいなら入る余裕はある。僕も詳しく話を聞こうと部屋の前まで移動したら外に待機していた警官が部屋の扉を完全に閉めてしまった。今部屋の中で何が起こっているのか外からは全く分からなくなってしまった。仕方が無いので部屋の外で待機して事の成り行きを見守ることにした。扉の前に2人非常階段前に1人そして窓際には僕が居る。犯人の逃げ道は無い。普段なら既にウーバーの配達に向かっている時間ではあるが現場を離れる事は出来なかった。

その後部屋の外で待機している警官と一緒に容疑者が外に連れ出されるのを15分ほど待ったが一向に出てくる気配が無い。何をちんたらやっているのだろうか。僕だったらさっさと警察署に連行して自供させている。部屋の中で揉めている気配も無いから退屈だ。待機している間警官はずっと難しい顔をしている。僕も真似をして待つが全く進展が無い。

警官というのは随分と几帳面な人種のようで容疑者の部屋の中に突入した警官達の靴が部屋の外の壁に沿って綺麗に並べられていた。ドヤの部屋には玄関が無いから外で靴を脱ぐのも分かるが別に靴のまま部屋に突入しても良さそうな気はする。犯人が逃げた場合いちいち靴を履いていては逃げられる可能性が増す。でもこういった気遣いが出来るのも日本の警察の良い所だろう。並んだ靴の写真を撮ろうと移動したら部屋の中に入ろうとしていると勘違いしたのか先程扉を閉めた警官に制止された。無愛想な人も居る。今もテレビでやっているのか分からないが昔警察24時という警察官の仕事に密着するテレビ番組を好きで良く見ていた。だから逮捕までの流れは把握している。それなのにこの警察官は僕を素人と勘違いしているのかもしれない。

長い。遂に諦めた。配達に向かう。一緒に警備をしていた警官には申し訳ない気がするがこうやっていても1円のお金も僕には入らない。稼ぎに行かねばならない。ドヤを出ると外には更に2人の私服警官が居てドヤの出入り口と容疑者宅のベランダを監視していた。

仕事を始めた後もいつニュースに出るかとわくわくしながらネットで何度も検索するも情報が無い。つまらない。合計で10人ほどの人員が確保に出向いているからそれなりに大物の犯罪者であるような気がしたのだが違うのだろうか。いつも確保の瞬間には10人程度の人間が出向くのだろうか。いずれにしてもニュースにならないと何も情報が入ってこない。大人しく捕まった犯人は情けない奴だ。不甲斐ない気持ちがする。この前廃墟のビルに逃げ込んだ容疑者は上手いこと警察から逃げて大きなニュースになっていたから尚更そう思う。

今思い返してみると容疑者の男は何だかうさんくさい奴だった。廊下で擦れ違えば挨拶はちゃんとするが目が合うような事は無かった。やましい事があるから目を逸らしていたに違いない。廊下の窓から外を眺めているのを何回か見かけた。天候を見ていると思っていたが往来に警察の姿が無いかを調べていたに違いない。酒に酔っているような時に出くわした時もあったが酒では無く薬物か何かを使用していたのではないかと思うと恐ろしい。いつどんな罪を犯したのかは分からないがクリスマスと正月を刑務所で迎えるのだろう。