12月の半ばに友人と遊ぶ約束をしていたが1月に延期となった。これで僕の年内の予定は何も無くなった。1年の間で1番忙しいと言われる時期に凄く暇を持て余す事になった。
予定が無くなると同時に友人と遊ぶために置いてある3万円近いお金の使い途も無くなった。1月に会うのだからその時まで置いておけば良いような気もするが恐らくは気のせいだろう。気分が楽しくなる年末の時期に3万の自由に使って良いお金がある。ありがたく使わせて貰う。早速電子書籍を3冊買った。全てエッセイだ。最近は小説よりもエッセイを読んでいる。年越しは読書をして知的に過ごそうかと思う。
正月の過ごし方で若い頃とても好きだった過ごし方がある。休みに入る前にゲームソフトを1本か2本買って休日中はゲーム漬けの日々を送る。新年を迎える瞬間もゲームをしていた。友人や女性と正月を過ごすことは少なかったし何か記念日だからと言って他人と過ごすのは僕はあまり好きじゃない。ゲームをして過ごすのが僕にとっては最もお気に入りの正月の過ごし方だった。
流石に今の年齢でゲームだけで休みを過ごすのは難しい。嫌な年齢になった。何事にも集中力が続かなくてこれまで好きだった物事が色褪せて見え始めている。ゲームも読書も生涯の趣味だと思っていたがこの先40を超えたらどうなるかは分からない。他に何もする事が無いからゲームや読書をしているような気分を最近持つようになった。僕は家の中で1人で何かをするのが大好きな人間だからゲームと小説の価値が下がれば生活の楽しみも薄まってしまう。困ったものだと思う。
僕には同年代の友人が2人居る。会う約束が1月に変更になったのがこの2人だ。どちらとも5年以上の付き合いがある。1人の趣味は仕事でもう1人は麻雀という事になるだろう。これはあくまで端から見た結果そのように思っただけだ。今度会った時何か趣味があるのか聞く必要がある。何か僕が夢中になれる趣味を持っているだろうか。
僕の父親は若い頃から老人になるまでずっと釣りが趣味だった。僕のようにのんびりした性格の人間には釣りは適した趣味かと思う。釣り竿を持っているが釣りに行く気がなかなか起きないのが問題だ。父親は料理も得意な人だった。釣った魚を捌いて良く僕と姉に食べさせてくれた。血の繋がった父であるというのに何だか僕とは随分性質の異なる人だ。最近顔付きが父に似てきたと思うようになってから父親の事を良く思い出す。僕は父は嫌いじゃなかった。だがどうやらもう死んでいるようだ。姉夫婦も父の現在を知らない。最後に会った時は病気でかなり痩せていたと聞く。その話自体10年ほど前の話なので今は生きている可能性が相当低い。父親は戸籍上赤の他人となっているので詳しいことは知りようが無い。
母は健在なようだ。姉夫婦も全く連絡を取っていないようで現在の状態は分からない。死亡したら戸籍上の家族である僕には連絡が来るだろうからまだ死んでいないと思われる。姉と僕は仲良くしている状態が続いているが随分と家族はばらばらになってしまった。
姉が子供の頃の写真を見たことがある。姉は母に抱かれ母の隣には父も写っていた。母も父も笑顔だったと思う。一応この時は家族をしていたようだ。姉の子供時代の写真は多かったが僕の子供時代の写真は少なかった。僕が生まれた時には家族の関係にヒビが入り始めていたのだろう。それから30年以上が経ち家族全員ばらばらとなっている。僕の一家の墓は京都にある。僕は死んでもその墓に入りたいとは思わない。母親が入るからだ。生きている間も一緒に居るのはご免だし死後一緒の場所で眠ることは到底考えられない。
自転車を加速させる際の膝への負担が大きいと見えて最近頻繁に膝が痛む。電動自転車であればこのような痛みとは無縁なのだろう。加齢でコラーゲンが減っている体に電動無しのママチャリは酷だ。

膝当てを購入した。体を労って大切にしてやらないといけない。若い頃は寝たら直っていたようなものでも今は一生の傷になりかねない。こんなぼろぼろの体をしたおじさんが自転車で神奈川から大阪まで行く計画を立てていたのだから面白い。結局電車で行くことになった。出発するのは年明けになるが青春18切符は今月中に購入しておかねばならない。発売期間は12月一杯となっている。ついさっき調べて気付いた。気付いていなければ出発の前日にでも買おうとしていたところだ。危ない。危ない。
予定が無くなると同時に友人と遊ぶために置いてある3万円近いお金の使い途も無くなった。1月に会うのだからその時まで置いておけば良いような気もするが恐らくは気のせいだろう。気分が楽しくなる年末の時期に3万の自由に使って良いお金がある。ありがたく使わせて貰う。早速電子書籍を3冊買った。全てエッセイだ。最近は小説よりもエッセイを読んでいる。年越しは読書をして知的に過ごそうかと思う。
正月の過ごし方で若い頃とても好きだった過ごし方がある。休みに入る前にゲームソフトを1本か2本買って休日中はゲーム漬けの日々を送る。新年を迎える瞬間もゲームをしていた。友人や女性と正月を過ごすことは少なかったし何か記念日だからと言って他人と過ごすのは僕はあまり好きじゃない。ゲームをして過ごすのが僕にとっては最もお気に入りの正月の過ごし方だった。
流石に今の年齢でゲームだけで休みを過ごすのは難しい。嫌な年齢になった。何事にも集中力が続かなくてこれまで好きだった物事が色褪せて見え始めている。ゲームも読書も生涯の趣味だと思っていたがこの先40を超えたらどうなるかは分からない。他に何もする事が無いからゲームや読書をしているような気分を最近持つようになった。僕は家の中で1人で何かをするのが大好きな人間だからゲームと小説の価値が下がれば生活の楽しみも薄まってしまう。困ったものだと思う。
僕には同年代の友人が2人居る。会う約束が1月に変更になったのがこの2人だ。どちらとも5年以上の付き合いがある。1人の趣味は仕事でもう1人は麻雀という事になるだろう。これはあくまで端から見た結果そのように思っただけだ。今度会った時何か趣味があるのか聞く必要がある。何か僕が夢中になれる趣味を持っているだろうか。
僕の父親は若い頃から老人になるまでずっと釣りが趣味だった。僕のようにのんびりした性格の人間には釣りは適した趣味かと思う。釣り竿を持っているが釣りに行く気がなかなか起きないのが問題だ。父親は料理も得意な人だった。釣った魚を捌いて良く僕と姉に食べさせてくれた。血の繋がった父であるというのに何だか僕とは随分性質の異なる人だ。最近顔付きが父に似てきたと思うようになってから父親の事を良く思い出す。僕は父は嫌いじゃなかった。だがどうやらもう死んでいるようだ。姉夫婦も父の現在を知らない。最後に会った時は病気でかなり痩せていたと聞く。その話自体10年ほど前の話なので今は生きている可能性が相当低い。父親は戸籍上赤の他人となっているので詳しいことは知りようが無い。
母は健在なようだ。姉夫婦も全く連絡を取っていないようで現在の状態は分からない。死亡したら戸籍上の家族である僕には連絡が来るだろうからまだ死んでいないと思われる。姉と僕は仲良くしている状態が続いているが随分と家族はばらばらになってしまった。
姉が子供の頃の写真を見たことがある。姉は母に抱かれ母の隣には父も写っていた。母も父も笑顔だったと思う。一応この時は家族をしていたようだ。姉の子供時代の写真は多かったが僕の子供時代の写真は少なかった。僕が生まれた時には家族の関係にヒビが入り始めていたのだろう。それから30年以上が経ち家族全員ばらばらとなっている。僕の一家の墓は京都にある。僕は死んでもその墓に入りたいとは思わない。母親が入るからだ。生きている間も一緒に居るのはご免だし死後一緒の場所で眠ることは到底考えられない。
自転車を加速させる際の膝への負担が大きいと見えて最近頻繁に膝が痛む。電動自転車であればこのような痛みとは無縁なのだろう。加齢でコラーゲンが減っている体に電動無しのママチャリは酷だ。

膝当てを購入した。体を労って大切にしてやらないといけない。若い頃は寝たら直っていたようなものでも今は一生の傷になりかねない。こんなぼろぼろの体をしたおじさんが自転車で神奈川から大阪まで行く計画を立てていたのだから面白い。結局電車で行くことになった。出発するのは年明けになるが青春18切符は今月中に購入しておかねばならない。発売期間は12月一杯となっている。ついさっき調べて気付いた。気付いていなければ出発の前日にでも買おうとしていたところだ。危ない。危ない。
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