テレビで動画を視聴する時用に購入したイヤホンがどちらも左耳仕様になっている。

恐らくは製造の際に誤って左耳用のイヤホン同士を接続してしまったのだろう。気にせず使用していたが僕の手元に左耳用のイヤホンしか付いていない商品があるという事はどこかに右耳用しか付いていないイヤホンもあるのだと思う。どちらも左耳用であっても僕は気にしなかったが神経質な人だと気になるかもしれない。僕にだって左耳だけで無く右耳もあるのだから不便ではある。
最初印象の悪かった人が後になって善人だと気付いた時の方が最初から善人だと知っていた時よりも心に与える印象は良くなるらしい。前後の認識のズレが大きいほど効果も大きいようだ。誤った人物評をしていた事への呵責の念も手伝うのかもしれない。
これと同じ事が料理にも起こる。蕎麦・家系ラーメン・つけ麺は僕の大好物だがいずれも最初の出会いは良くなかった。蕎麦よりもうどんの方が好きだった。家系ラーメンは麺が太いのが気に入らなかった。つけ麺を食べるくらいならラーメンを食べれば良いじゃないかと考えていた。最初は全て苦手であったり代わりに好きな食べ物があった。
僕は長い事1人で生きている。食べる物は好き勝手に自分で決める。蕎麦・家系ラーメン・つけ麺は苦手だから徹底的に避けて生活する事も可能だった。いずれも今になって好物となっているのは僕にそれらの料理を奨めた人物が居るからだ。
蕎麦は横浜に来てから好きになった。寿町に住んで夜勤の倉庫仕事をしていた時の同僚に蕎麦の美味さを教えてくれた人が居る。仕事終わりに朝から営業している立ち食い蕎麦屋に何度か一緒に通った。今は確か青森に住んでいる。恋人が青森の人で青森に帰ったから追いかけて行った。以前ブログにも少し書いたような気がする。
蕎麦はせいろが特に好きでナスの天ぷらが置いてある店だと尚良い。汁は少し濃いめが好みだ。味が薄い時は卓上に置かれた醤油を足して自分で味を整える。今の寒い季節はあんかけの蕎麦にはまっていて最近はそればかり食べている。
家系ラーメンは僕が上京して最初に出来た友人と食べに行った。縁の切れた過去の友人で僕がこのブログに書く友人2人とは別の人だ。上京して最初はゲストハウスだとかシェアハウスだとか呼ばれる物件に住んだ。彼は隣の部屋の住人だった。正確には覚えていないが年が3つくらい上だったので山本さんと呼んでいた。彼は僕を下の名前に君付けをして呼んでいた。僕は人の年齢を年上か同い年が年下かの3つの分類程度にしか記憶しない。今思い返してみると5歳程度は年上だったような気もする。
この山本さんとは5年ほど前までは交際があった。2年連続で一緒に新年を迎えて初詣にも2人で出かけた。それほど仲の良い友人ではあったが思う所があって絶縁した。簡単に理由を書けば僕は山本さんが困っている時は色々と助けたが彼は僕が困っていても助けてはくれなかった。
家系ラーメンを注文する際は毎回麺の固さと油は普通にして味だけを濃くして貰う。家系ラーメンには海苔が不可欠だが僕は海苔が無くても別に気にしない。それでも海苔無しの家系ラーメンには出会った事が無いし海苔抜きを注文するのは勇気が居る。
家系ラーメンの醍醐味は海苔にある。家系ラーメンの良さを理解していないと受け取られる恐れがあるが思い切って記しておく。
つけ麺も時期的には5年ほど前に仕事の付き合いがあった人がラーメンとの違いやつけ麺にしか無い魅力を教えてくれた。僕がその頃の仕事を辞める際にはかなり強引にではあるが引き留めようとしてくれた人だ。当時は少し迷惑に感じたがそのままの仕事をしていたら今とはかなり違う人生を送っている自分が居ただろうと思う。今の自分の方が僕は好きだがこの人はこの人なりに僕の人生が良くなるよう力を貸してくれていた。
つけ麺はいつも麺を冷たくした物を注文する。熱盛りは嫌いだ。つけ麺の魅力の1つはラーメンにはない麺のコシにあると思っている。熱盛りにするとその点がぼやける。冷えた麺だとスープがすぐに冷たくなる欠点もあるがコシの無い麺を食べてもつけ麺を食べた気がしない。つけ麺のスープは麺を食べ終えた後に出汁で割って飲むのが普通だが僕はこれも好まない。そのままの味の濃いスープを麺と一緒に飲むのが良い。
蕎麦も家系ラーメンもつけ麺も今の僕にはご馳走だ。それらの料理の良さを僕に教えてくれた人達と一緒に食べる事はもう無いだろうが一緒に食べた思い出は消えない。
東北地方は雪が降って大変らしい。神奈川はまだ降らないから待ち望んでいる。神奈川の雪なんぞは東北のように積もらないから気楽なものだ。
東北地方のウーバーの配達員は冬の間は仕事にならないのではないだろうか。積雪期間だけ何か別の仕事をするのだろうか。
雪が降れば部屋の中に居ても寒いだろう。配達も出来ないから僕の生活にも弊害は生じる。それでも雪は見たい。雪が振らないまま冬が終わるなんて事になれば何だか損をしたような気分になる。
前回の冬はちゃんと雪が降った。現時点で僕が使用している天気予報アプリでは今年いっぱいの天気予報が確認出来る。雪の予報は出ていない。今日の夜は雨が降るそうだ。まだ雪にはならない。
子供の頃はゲームは1日1時間と決められていた。結構厳しく時間管理されていた記憶がある。でも改めて考えてみると気の所為かもしれない。ドラクエ6を遊んでいる時にむりやり電源を切られた事と親への悪感情が記憶を改ざんしている可能性はある。まあとにかくゲームは1日1時間の制限があった。
大人になった今は好き放題にゲームが出来る。叱る人も居ないからたちが悪い。ゲームに時間を使っている時は生活が適当になる。昨日のブログの文章なんかも何を書いたか覚えていない時がある。ゲームを楽しめなくなってきていると言っていたのに遊びさえすれば時間を大量に使うのだから困る。
もう30後半だからもしかしたら人生を半分終えている可能性がある。それなのに未だに時間を潰すためにゲームに興じてしまう。これで良いのだろうかと思う。世の中の同年代の人は家のローンであったり子供の教育に頭を悩ませているのに僕はサッカー選手の留学先に悩んだりスタジアムにどのような施設を作ろうかと悩んでいる。子供は育てば自分を支えてくれる立派な大人になるかもしれない。ゲームの中のサッカー選手を世界一流の選手に育てても僕には1円も入ってはこない。
昔煙草を吸っていた。大昔という訳ではなく少しの昔だ。何年前だとか具体的に考え出すともうそれだけの期間禁煙しているのか。ならば今1本くらい吸っても喫煙者には戻らないだろうどれどれ。と吸ってしまいそうだから考えないようにしているしここにも書かない。
両親も煙草を吸うし姉夫婦も煙草を吸う。甥と姪は成人していないからまだ吸える年齢ではない。今時の若い子が煙草を吸うようになる世の中とも思えないから今後も吸わないと思う。少し心配だから京都に帰った際は煙草を辞めていかに良かったか煙草を辞めるのがどれだけ難しいかを話して聞かせようと思う。
喫煙者の頃は生活の節目節目に煙草を吸っていた。まず起床後真っ先に煙草を吸う。顔も歯も洗う前だ。食事を終えた後も毎度煙草を吸うし少しの時間があれば無意識に煙草を吸っていた。当時は右手の人差し指の爪がニコチンで黄色く変色していた。
僕は1日に1箱の煙草を吸っていた。1箱には20本の煙草が入っている。1日16時間活動するとしたら1時間に1本以上の煙草を消費している計算になる。1日20本煙草を吸っても本当に美味しいと思いながら吸っているのは起床後すぐの煙草と食後の煙草と感覚が開いた後の煙草くらいだ。1日5本程度しか美味しくない。それなのに毎日きっちりと20本の煙草を吸ってしまう。煙草のおかげで少しは几帳面な性格になれたとは思う。
お金に困った際には食事よりも煙草を優先して購入した。飯は抜いても数日なら死なない。煙草を抜いても当然死ぬことが無いのは今の僕が証明しているが当時の僕は煙草を切らしたら気が狂いそうな気分だった。街中に出てシケモクを集めるような真似はしなかったが自分の1度吸った煙草に再度火を点けて煙草を持つ指に熱さを感じた事は何度もあった。
禁煙には5度以上挑戦している。最後の禁煙でようやく辞めた。煙草を辞めた最初の1ヶ月は事あるごとに煙草を吸いたくなる。禁煙するストレスの方が喫煙よりも体に悪いのでは無いかと思うくらいだ。今は煙草を忘れて過ごしている。忘れられて良かったと思う。
昔吸っていた煙草の値段を調べると580円になっていた。毎日580円の出費は辛い。これから更に値上げするような話も聞いた。喫煙者の頃は値上げは勘弁だったが今は大歓迎だ。喫煙者への締め付けは年々増している。喫煙する場所が街中に無いため歩き煙草をしている人を見かけたり道路の影で隠れるようにして吸っている人を見かける。そこまでして吸わなきゃ良いのにと思うのは全く喫煙の文化を持たなかった人の言い分だ。元喫煙者の僕には吸いたい気持ちも理解出来る。街中のほとんどのコンビニで煙草を売っておきながら吸う場所は無いというのは少し可哀相な気はする。しかしこれも喫煙した事の無い人に言わせると家で吸えば良いじゃないかとなるのだろう。ずっと家に居る訳にもいかないから外で吸いたくなる日もあるだろうとは思う。
煙草を吸うのは馬鹿な行為だとは思う。人より多くの税金を払いながら誰からも感謝されずに迷惑扱いされるのだから控え目に言っても喫煙者は馬鹿げた行為をしている。でも煙草を吸うのは違法では無いのだからもう少し街中に喫煙する場所を残してあげても良いような気はする。
これだけ煙草の事を書いても吸いたい気持ちにはならないのだからもう僕は大丈夫だろう。

恐らくは製造の際に誤って左耳用のイヤホン同士を接続してしまったのだろう。気にせず使用していたが僕の手元に左耳用のイヤホンしか付いていない商品があるという事はどこかに右耳用しか付いていないイヤホンもあるのだと思う。どちらも左耳用であっても僕は気にしなかったが神経質な人だと気になるかもしれない。僕にだって左耳だけで無く右耳もあるのだから不便ではある。
最初印象の悪かった人が後になって善人だと気付いた時の方が最初から善人だと知っていた時よりも心に与える印象は良くなるらしい。前後の認識のズレが大きいほど効果も大きいようだ。誤った人物評をしていた事への呵責の念も手伝うのかもしれない。
これと同じ事が料理にも起こる。蕎麦・家系ラーメン・つけ麺は僕の大好物だがいずれも最初の出会いは良くなかった。蕎麦よりもうどんの方が好きだった。家系ラーメンは麺が太いのが気に入らなかった。つけ麺を食べるくらいならラーメンを食べれば良いじゃないかと考えていた。最初は全て苦手であったり代わりに好きな食べ物があった。
僕は長い事1人で生きている。食べる物は好き勝手に自分で決める。蕎麦・家系ラーメン・つけ麺は苦手だから徹底的に避けて生活する事も可能だった。いずれも今になって好物となっているのは僕にそれらの料理を奨めた人物が居るからだ。
蕎麦は横浜に来てから好きになった。寿町に住んで夜勤の倉庫仕事をしていた時の同僚に蕎麦の美味さを教えてくれた人が居る。仕事終わりに朝から営業している立ち食い蕎麦屋に何度か一緒に通った。今は確か青森に住んでいる。恋人が青森の人で青森に帰ったから追いかけて行った。以前ブログにも少し書いたような気がする。
蕎麦はせいろが特に好きでナスの天ぷらが置いてある店だと尚良い。汁は少し濃いめが好みだ。味が薄い時は卓上に置かれた醤油を足して自分で味を整える。今の寒い季節はあんかけの蕎麦にはまっていて最近はそればかり食べている。
家系ラーメンは僕が上京して最初に出来た友人と食べに行った。縁の切れた過去の友人で僕がこのブログに書く友人2人とは別の人だ。上京して最初はゲストハウスだとかシェアハウスだとか呼ばれる物件に住んだ。彼は隣の部屋の住人だった。正確には覚えていないが年が3つくらい上だったので山本さんと呼んでいた。彼は僕を下の名前に君付けをして呼んでいた。僕は人の年齢を年上か同い年が年下かの3つの分類程度にしか記憶しない。今思い返してみると5歳程度は年上だったような気もする。
この山本さんとは5年ほど前までは交際があった。2年連続で一緒に新年を迎えて初詣にも2人で出かけた。それほど仲の良い友人ではあったが思う所があって絶縁した。簡単に理由を書けば僕は山本さんが困っている時は色々と助けたが彼は僕が困っていても助けてはくれなかった。
家系ラーメンを注文する際は毎回麺の固さと油は普通にして味だけを濃くして貰う。家系ラーメンには海苔が不可欠だが僕は海苔が無くても別に気にしない。それでも海苔無しの家系ラーメンには出会った事が無いし海苔抜きを注文するのは勇気が居る。
家系ラーメンの醍醐味は海苔にある。家系ラーメンの良さを理解していないと受け取られる恐れがあるが思い切って記しておく。
つけ麺も時期的には5年ほど前に仕事の付き合いがあった人がラーメンとの違いやつけ麺にしか無い魅力を教えてくれた。僕がその頃の仕事を辞める際にはかなり強引にではあるが引き留めようとしてくれた人だ。当時は少し迷惑に感じたがそのままの仕事をしていたら今とはかなり違う人生を送っている自分が居ただろうと思う。今の自分の方が僕は好きだがこの人はこの人なりに僕の人生が良くなるよう力を貸してくれていた。
つけ麺はいつも麺を冷たくした物を注文する。熱盛りは嫌いだ。つけ麺の魅力の1つはラーメンにはない麺のコシにあると思っている。熱盛りにするとその点がぼやける。冷えた麺だとスープがすぐに冷たくなる欠点もあるがコシの無い麺を食べてもつけ麺を食べた気がしない。つけ麺のスープは麺を食べ終えた後に出汁で割って飲むのが普通だが僕はこれも好まない。そのままの味の濃いスープを麺と一緒に飲むのが良い。
蕎麦も家系ラーメンもつけ麺も今の僕にはご馳走だ。それらの料理の良さを僕に教えてくれた人達と一緒に食べる事はもう無いだろうが一緒に食べた思い出は消えない。
東北地方は雪が降って大変らしい。神奈川はまだ降らないから待ち望んでいる。神奈川の雪なんぞは東北のように積もらないから気楽なものだ。
東北地方のウーバーの配達員は冬の間は仕事にならないのではないだろうか。積雪期間だけ何か別の仕事をするのだろうか。
雪が降れば部屋の中に居ても寒いだろう。配達も出来ないから僕の生活にも弊害は生じる。それでも雪は見たい。雪が振らないまま冬が終わるなんて事になれば何だか損をしたような気分になる。
前回の冬はちゃんと雪が降った。現時点で僕が使用している天気予報アプリでは今年いっぱいの天気予報が確認出来る。雪の予報は出ていない。今日の夜は雨が降るそうだ。まだ雪にはならない。
子供の頃はゲームは1日1時間と決められていた。結構厳しく時間管理されていた記憶がある。でも改めて考えてみると気の所為かもしれない。ドラクエ6を遊んでいる時にむりやり電源を切られた事と親への悪感情が記憶を改ざんしている可能性はある。まあとにかくゲームは1日1時間の制限があった。
大人になった今は好き放題にゲームが出来る。叱る人も居ないからたちが悪い。ゲームに時間を使っている時は生活が適当になる。昨日のブログの文章なんかも何を書いたか覚えていない時がある。ゲームを楽しめなくなってきていると言っていたのに遊びさえすれば時間を大量に使うのだから困る。
もう30後半だからもしかしたら人生を半分終えている可能性がある。それなのに未だに時間を潰すためにゲームに興じてしまう。これで良いのだろうかと思う。世の中の同年代の人は家のローンであったり子供の教育に頭を悩ませているのに僕はサッカー選手の留学先に悩んだりスタジアムにどのような施設を作ろうかと悩んでいる。子供は育てば自分を支えてくれる立派な大人になるかもしれない。ゲームの中のサッカー選手を世界一流の選手に育てても僕には1円も入ってはこない。
昔煙草を吸っていた。大昔という訳ではなく少しの昔だ。何年前だとか具体的に考え出すともうそれだけの期間禁煙しているのか。ならば今1本くらい吸っても喫煙者には戻らないだろうどれどれ。と吸ってしまいそうだから考えないようにしているしここにも書かない。
両親も煙草を吸うし姉夫婦も煙草を吸う。甥と姪は成人していないからまだ吸える年齢ではない。今時の若い子が煙草を吸うようになる世の中とも思えないから今後も吸わないと思う。少し心配だから京都に帰った際は煙草を辞めていかに良かったか煙草を辞めるのがどれだけ難しいかを話して聞かせようと思う。
喫煙者の頃は生活の節目節目に煙草を吸っていた。まず起床後真っ先に煙草を吸う。顔も歯も洗う前だ。食事を終えた後も毎度煙草を吸うし少しの時間があれば無意識に煙草を吸っていた。当時は右手の人差し指の爪がニコチンで黄色く変色していた。
僕は1日に1箱の煙草を吸っていた。1箱には20本の煙草が入っている。1日16時間活動するとしたら1時間に1本以上の煙草を消費している計算になる。1日20本煙草を吸っても本当に美味しいと思いながら吸っているのは起床後すぐの煙草と食後の煙草と感覚が開いた後の煙草くらいだ。1日5本程度しか美味しくない。それなのに毎日きっちりと20本の煙草を吸ってしまう。煙草のおかげで少しは几帳面な性格になれたとは思う。
お金に困った際には食事よりも煙草を優先して購入した。飯は抜いても数日なら死なない。煙草を抜いても当然死ぬことが無いのは今の僕が証明しているが当時の僕は煙草を切らしたら気が狂いそうな気分だった。街中に出てシケモクを集めるような真似はしなかったが自分の1度吸った煙草に再度火を点けて煙草を持つ指に熱さを感じた事は何度もあった。
禁煙には5度以上挑戦している。最後の禁煙でようやく辞めた。煙草を辞めた最初の1ヶ月は事あるごとに煙草を吸いたくなる。禁煙するストレスの方が喫煙よりも体に悪いのでは無いかと思うくらいだ。今は煙草を忘れて過ごしている。忘れられて良かったと思う。
昔吸っていた煙草の値段を調べると580円になっていた。毎日580円の出費は辛い。これから更に値上げするような話も聞いた。喫煙者の頃は値上げは勘弁だったが今は大歓迎だ。喫煙者への締め付けは年々増している。喫煙する場所が街中に無いため歩き煙草をしている人を見かけたり道路の影で隠れるようにして吸っている人を見かける。そこまでして吸わなきゃ良いのにと思うのは全く喫煙の文化を持たなかった人の言い分だ。元喫煙者の僕には吸いたい気持ちも理解出来る。街中のほとんどのコンビニで煙草を売っておきながら吸う場所は無いというのは少し可哀相な気はする。しかしこれも喫煙した事の無い人に言わせると家で吸えば良いじゃないかとなるのだろう。ずっと家に居る訳にもいかないから外で吸いたくなる日もあるだろうとは思う。
煙草を吸うのは馬鹿な行為だとは思う。人より多くの税金を払いながら誰からも感謝されずに迷惑扱いされるのだから控え目に言っても喫煙者は馬鹿げた行為をしている。でも煙草を吸うのは違法では無いのだからもう少し街中に喫煙する場所を残してあげても良いような気はする。
これだけ煙草の事を書いても吸いたい気持ちにはならないのだからもう僕は大丈夫だろう。
コメント
コメント一覧 (2)
自分は小さい頃から毎日何かしらのゲームをやっているので立派なゲーム中毒です。卒ゲーは困難です。
蕎麦、家系ラーメン、つけ麺どれも美味しいですね。
寒い日は温かい麺料理が恋しくなります。
天王町の田中屋という蕎麦屋のつゆは濃い味で美味しいです。管理人様の好みに合致しそうです。
naka13t
が
しました