9時発の電車で石川町駅から大船に行きそこから神奈川を離れて静岡に向かう。最初は清水駅で降りる予定だ。清水と言えばちびまる子ちゃんの街だ。作者のさくらももこさんは漫画家として偉大な方だがエッセイストとしても素晴らしい才能を持った人で別名現代の清少納言と呼ばれている。清水までの道中には熱海があるが熱海へは復路で立ち寄る。電車旅は帰りがどうしても単調になる。旅の疲れもあるから自分の好きな街は旅の終わりの褒美として残しておく。気になった駅には下車するつもりでいるがあまり多くの駅に降りるつもりも無い。僕は記憶力が足りないので色々な場所に立ち寄ると土地の記憶が混同してしまう。
1月3日出発の朝になった。帰省ラッシュが始まっているそうだが鈍行電車で帰る人は流石に居ないから電車は空いている。世の中の皆さんは正月休みを終えてこれから日常の生活に戻るのだろう。
平塚はまだまだ神奈川でありご近所と言っても良い土地だが既に見える物が珍しくなってきた。山の山頂に雲がかかっている。晴れて風も吹いていないためはっきりとした形をした雲だ。遮る建物が無いから山の全景が見える。真冬ではあるが寒そうな山では無く緑に包まれている。車中でせっせと景色を眺めているのは僕だけだった。この景色が他の乗客には日常なのだろう。
電車の外を通過する街を見てこの場所で暮らしたらどのような生活になるだろうと想像して過ごす。横を新幹線が駆けていった。新幹線なら京都まで2時間程度だ。今回の旅のように普通列車を使うなら9時間近くかかる。道中駅弁を食べるのは新幹線移動ならではの楽しみで青春18切符の旅ではそのような真似は出来ない。鈍行列車内での飲食は基本はご法度である。
やがて海が見えた。横浜に住んでいるから海は見飽きている。だが今見ている海は都会とは違う性質の海だ。横浜は海岸線間際まで高層ビルが建っているから例えどれだけの大波になろうと人の生活圏を侵すことのないように人間の力で海は抑えつけられている。海岸線は全てコンクリートで固められ海が内地に侵入する隙間は無い。だが今見ている海は違う。この海が荒れれば人間が避難するしかない。自然が人間よりも優位に立っている。海のそばから人の生活圏は出来るだけ離して作られている。
湯河原の次の駅が熱海だ。電車で7分しか離れていない。どちらも有名な温泉地だ。湯河原は神奈川だが熱海は静岡となっている。湯治客の取り合いは激しいだろう。熱海は旅の後半に寄ろうと思っていたが到着した頃には気が変わっていた。復路で寄るなら熱海に着くのは夜になる。昼の熱海も見ておこうと思った。年明け3日目の熱海はとにかく人と車が多かった。至る所で渋滞が発生している。

人が大勢写っているから加工した。最初は絶賛した水彩画加工アプリも使う機会が限定されている。今は人の顔にモザイクをかける際にモザイク代わりに使っている。


帰りに寄ろうと思う蕎麦屋の目星を付けておく。前回熱海に来た頃はまだ蕎麦が好物で無かったから蕎麦屋は1つも知らない。(帰りは体調を崩していたため寄らずに帰って来た)
熱海を後にしてまた電車に乗る。そろそろ景色を眺めるのにも飽きてきた。2時間近く電車に乗っているのだから当然だ。スマホを触ったり読書をして過ごした。他人が見れば僕もこの辺りで暮らす人間のように見えただろう。静岡を走る電車で当電車にはお手洗いは付いていませんと車内放送がかかった。この辺りの電車にはお手洗いがあるのが普通だ。
富士駅という駅を通過した。富士山らしき山が窓の外にずっと見えている。山頂に大きな雲がかかっていて本当に富士山であるかはっきりとしない。静岡で富士という名の駅であるからあの富士から取った名前である事は間違いないかと思う。2駅走る間ずっと富士山らしき山が見えていた。
僕以外の乗客の皆さんは富士山らしき山に全く関心が無いようだ。一部が雲に隠れて精確な大きさは不明だがかなり巨大に見える。裾が広い。富士の特徴は天頂部分にある。雪を被った山頂を見れば富士山であると言い切れるが今見える範囲では他の山との明確な区別が出来ない。
そうこうしているうちに清水に着いた。お昼の13時だ。まだお腹は空いていない。清水には観光客は全く居なかった。正月で地元の人も少ない。綺麗で立派な駅が少し寂しそうだ。駅の近くの商店街は明日4日から営業する店ばかりで大抵が閉まっていた。





ここで予想外の出来事があった。清水駅から富士山を見る事が出来る。

先ほど邪魔をした雲が外れて山の頂が見える。やはり先ほどずっと窓の外に見えていたのは富士山だった。
再度電車旅に戻る。ここから静岡の長い移動が始まる。静岡は自然が多い。田舎と都会どちらを走る電車の車掌さんの方が幸せだろうかと考える。こうやって自然の中を移動すると大昔の人達が自然に畏敬の念を抱いた理由も分かる気がする。
浜名湖そばの線路を通り豊橋に着いた。ようやく愛知県だ。

名古屋には16時半着となった。名古屋駅構内は帰省する人と見送る人で大変な混雑をしている。風が吹いていて寒い。先ほどまで快適な電車に居たから落差がある。旅に出てから最初の食事をした。もちろんそばを食べた。美味しかったが神奈川で食べる蕎麦との違いは分からない。名古屋では関東寄りの味の蕎麦が食べられているようだ。


名古屋での一泊も考えていたが大して疲労は無い。更に南下する。名古屋を経ったときには既に空は暗くなっていた。電車の窓から見える景色が単調になった。栄えている場所は光があるが全くの暗闇で何も見えない場所も多かった。夜の移動は少し損した気分にもなるが景色を見るのに飽きているから別に構わない。
そう言えば東海道の思い出の駅は見つからなかった。清水で降りて前回旅をした時とは違う列車に乗ったかもしれない。思い出は思い出のままにしておく。
19時前には滋賀に入った。この辺りは既に知っている地名が多く地元に帰って来た印象が強い。大阪には20時半に到着した。旅に出てから12時間近く経過している。


大阪は派手な店が多い。

値段の安い店も多い。
西成の観光も終え兵庫方面を目指そうと考えたが最終の電車を逃した。宿は取らず朝までずっと西成近辺を探索していた。
翌日城崎温泉へと向かった。関西に来るまでの電車のテーマが海ならここからは山となる。雨なのか雪なのか曖昧なのが少し空から降って地面を濡らした。旅の途中だから雨も雪も忌避するべきだが今は温泉地に向かっている。気温の低い方が湯が体に染みるだろう。
城崎温泉駅までの移動の半分以上は寝ていた。お腹の調子が悪く寝るように努めてもいた。この辺りを走る電車は2両編成だ。たった2両の電車にお手洗いは当然付いていない。あと電車の乗降にはボタンを押して扉を開閉させないといけない。あまり利用人数が多くないため常時扉を開けておく必要が無いみたいだ。
目を覚ますと線路の両側すぐ近くを低い山が並んで立ち視界を遮っていた。山間の狭い土地に民家がぽつぽつと建っている。このような土地に住めば昼も薄暗いだろう。横浜であろうとこの場所であろうと気温はそれほど違わないはずだが何だか冬場はとても寒そうな土地だとおもった。横浜に住んでいると駅には駅員さんが居て駅前にはコンビニがあるのが普通だと思っている。普通だと思っている事が常識ではない遠い場所に来ているのだと改めて思う。
やはりお腹が痛む。駅で降りればトイレはあるだろうが次の電車が来るのは30分後になる。この路線の電車は随分とのんびり走る。駅に着く度に小休憩する。列車待ちをしているそうで車内放送が頻繁にかかる。新幹線であれば駅弁を買う時間であろうがホームには駅弁を売る場所も人も居ない。
電車の座席は半分ほど埋まっている。電車好きの大学生グループと見える男だけの5人の集団がずっと喋っている。当たり障りのない会話の内容と声が一定の調子なので不快には思わない。彼らの関西弁を気持ちよく聞いていた。このぐらいの年齢の子達はどこに向かうのだろうか。まだ温泉を好き好んで訪ねるような年齢では無いかと思う。窓の外に田んぼが連なっている。冬だから何も植わっていない。土も雑草も乾いた茶色だ。悲しみや寂しさを呼び起こす景色が続いている。寂しい気持ちになるのは彼らが仲良く話しているからでもある。


城崎温泉では雪が降っていた。先程からの腹痛の原因も冷えたからだろう。城崎温泉から次の目的地の岡山までは5時間ほどの道のりがある。岡山では郷土料理と内田百閒さんゆかりの土地を訪ねるつもりでいたが城崎温泉でゆっくりすることにした。

鴻(こう)の湯という温泉に入った。入浴料700円にタオルが150円だ。内湯と露天風呂がある。硫黄の匂いは全くしない。昨日西成を歩き回った足の疲れも洗い流されたようで体が軽くなった。温泉は湯冷めが遅いというのを初めて知った。雪の街を歩いてもそれほど寒くない。
城崎温泉でも蕎麦を食べた。蟹が入って950円だ。


汁が澄んでいる。そばつゆと言うよりも上品な出汁の中にそばが浸っている感じだ。近所にこの蕎麦を出す店が欲しいと真剣に思う。ちなみに兵庫は出石の蕎麦なども有名だ。
そして夜に京都で家族と再開した。

久しぶりに会う甥の成長には驚いた。目線が僕と同じほどになっている。一般的には女の子の方が成長が早いと言われるが甥と姪には当て嵌まっていない。姪は高2で甥は高3だ。姪はつい1ヶ月ほど前にようやく化粧を始めたらしい。家族と会うのは5年ぶりだ。姉も姉の旦那もそれぞれ年を取った。僕も年を取っている。姪だけが前回会ったその日のままのような気がする。
甥も姪も電動自転車に乗っている。京都も横浜と同じく坂の多い土地だ。使用している電動自転車はどちらも10万くらいするそうだ。ウーバーの仕事を今後も続けるのなら僕も買うべきだろうが今は踏ん切りはつかない。

翌日は北野天満宮に初詣に行った。姉一家も今日が初詣だ。僕と行くのを待っていてくれた。

北野天満宮の出店で売られていた土手焼きだ。大阪名物らしい。横浜の酉の市で食べた揚げもんじゃを探したが無かった。
前回京都に帰省した時は京都の街並みを何だかみすぼらしく感じた。今回の帰省では空が広くとても美しい街並みに見えた。京都市では景観を守るために建物の高さに制限が設けられている。京都は小さく古い建物が多いからどこか陰気に見えたのだろう。建物を見るか空を見るかで印象の変わる街だと思う。
宇治の抹茶で作られた茶蕎麦は食べられなかった。京都に居る間はずっと食べ物があったからだ。
姉の家には3匹の猫が居た。2匹だと勘違いしていた。どの猫も警戒心が強くあまり懐いてくれなかったからもう名前は忘れた。猫カフェに居るような猫と家庭猫とでは性質が全く違う。
1月3日出発の朝になった。帰省ラッシュが始まっているそうだが鈍行電車で帰る人は流石に居ないから電車は空いている。世の中の皆さんは正月休みを終えてこれから日常の生活に戻るのだろう。
平塚はまだまだ神奈川でありご近所と言っても良い土地だが既に見える物が珍しくなってきた。山の山頂に雲がかかっている。晴れて風も吹いていないためはっきりとした形をした雲だ。遮る建物が無いから山の全景が見える。真冬ではあるが寒そうな山では無く緑に包まれている。車中でせっせと景色を眺めているのは僕だけだった。この景色が他の乗客には日常なのだろう。
電車の外を通過する街を見てこの場所で暮らしたらどのような生活になるだろうと想像して過ごす。横を新幹線が駆けていった。新幹線なら京都まで2時間程度だ。今回の旅のように普通列車を使うなら9時間近くかかる。道中駅弁を食べるのは新幹線移動ならではの楽しみで青春18切符の旅ではそのような真似は出来ない。鈍行列車内での飲食は基本はご法度である。
やがて海が見えた。横浜に住んでいるから海は見飽きている。だが今見ている海は都会とは違う性質の海だ。横浜は海岸線間際まで高層ビルが建っているから例えどれだけの大波になろうと人の生活圏を侵すことのないように人間の力で海は抑えつけられている。海岸線は全てコンクリートで固められ海が内地に侵入する隙間は無い。だが今見ている海は違う。この海が荒れれば人間が避難するしかない。自然が人間よりも優位に立っている。海のそばから人の生活圏は出来るだけ離して作られている。
湯河原の次の駅が熱海だ。電車で7分しか離れていない。どちらも有名な温泉地だ。湯河原は神奈川だが熱海は静岡となっている。湯治客の取り合いは激しいだろう。熱海は旅の後半に寄ろうと思っていたが到着した頃には気が変わっていた。復路で寄るなら熱海に着くのは夜になる。昼の熱海も見ておこうと思った。年明け3日目の熱海はとにかく人と車が多かった。至る所で渋滞が発生している。

人が大勢写っているから加工した。最初は絶賛した水彩画加工アプリも使う機会が限定されている。今は人の顔にモザイクをかける際にモザイク代わりに使っている。


帰りに寄ろうと思う蕎麦屋の目星を付けておく。前回熱海に来た頃はまだ蕎麦が好物で無かったから蕎麦屋は1つも知らない。(帰りは体調を崩していたため寄らずに帰って来た)
熱海を後にしてまた電車に乗る。そろそろ景色を眺めるのにも飽きてきた。2時間近く電車に乗っているのだから当然だ。スマホを触ったり読書をして過ごした。他人が見れば僕もこの辺りで暮らす人間のように見えただろう。静岡を走る電車で当電車にはお手洗いは付いていませんと車内放送がかかった。この辺りの電車にはお手洗いがあるのが普通だ。
富士駅という駅を通過した。富士山らしき山が窓の外にずっと見えている。山頂に大きな雲がかかっていて本当に富士山であるかはっきりとしない。静岡で富士という名の駅であるからあの富士から取った名前である事は間違いないかと思う。2駅走る間ずっと富士山らしき山が見えていた。
僕以外の乗客の皆さんは富士山らしき山に全く関心が無いようだ。一部が雲に隠れて精確な大きさは不明だがかなり巨大に見える。裾が広い。富士の特徴は天頂部分にある。雪を被った山頂を見れば富士山であると言い切れるが今見える範囲では他の山との明確な区別が出来ない。
そうこうしているうちに清水に着いた。お昼の13時だ。まだお腹は空いていない。清水には観光客は全く居なかった。正月で地元の人も少ない。綺麗で立派な駅が少し寂しそうだ。駅の近くの商店街は明日4日から営業する店ばかりで大抵が閉まっていた。





ここで予想外の出来事があった。清水駅から富士山を見る事が出来る。

先ほど邪魔をした雲が外れて山の頂が見える。やはり先ほどずっと窓の外に見えていたのは富士山だった。
再度電車旅に戻る。ここから静岡の長い移動が始まる。静岡は自然が多い。田舎と都会どちらを走る電車の車掌さんの方が幸せだろうかと考える。こうやって自然の中を移動すると大昔の人達が自然に畏敬の念を抱いた理由も分かる気がする。
浜名湖そばの線路を通り豊橋に着いた。ようやく愛知県だ。

名古屋には16時半着となった。名古屋駅構内は帰省する人と見送る人で大変な混雑をしている。風が吹いていて寒い。先ほどまで快適な電車に居たから落差がある。旅に出てから最初の食事をした。もちろんそばを食べた。美味しかったが神奈川で食べる蕎麦との違いは分からない。名古屋では関東寄りの味の蕎麦が食べられているようだ。


名古屋での一泊も考えていたが大して疲労は無い。更に南下する。名古屋を経ったときには既に空は暗くなっていた。電車の窓から見える景色が単調になった。栄えている場所は光があるが全くの暗闇で何も見えない場所も多かった。夜の移動は少し損した気分にもなるが景色を見るのに飽きているから別に構わない。
そう言えば東海道の思い出の駅は見つからなかった。清水で降りて前回旅をした時とは違う列車に乗ったかもしれない。思い出は思い出のままにしておく。
19時前には滋賀に入った。この辺りは既に知っている地名が多く地元に帰って来た印象が強い。大阪には20時半に到着した。旅に出てから12時間近く経過している。


大阪は派手な店が多い。

値段の安い店も多い。
西成の観光も終え兵庫方面を目指そうと考えたが最終の電車を逃した。宿は取らず朝までずっと西成近辺を探索していた。
翌日城崎温泉へと向かった。関西に来るまでの電車のテーマが海ならここからは山となる。雨なのか雪なのか曖昧なのが少し空から降って地面を濡らした。旅の途中だから雨も雪も忌避するべきだが今は温泉地に向かっている。気温の低い方が湯が体に染みるだろう。
城崎温泉駅までの移動の半分以上は寝ていた。お腹の調子が悪く寝るように努めてもいた。この辺りを走る電車は2両編成だ。たった2両の電車にお手洗いは当然付いていない。あと電車の乗降にはボタンを押して扉を開閉させないといけない。あまり利用人数が多くないため常時扉を開けておく必要が無いみたいだ。
目を覚ますと線路の両側すぐ近くを低い山が並んで立ち視界を遮っていた。山間の狭い土地に民家がぽつぽつと建っている。このような土地に住めば昼も薄暗いだろう。横浜であろうとこの場所であろうと気温はそれほど違わないはずだが何だか冬場はとても寒そうな土地だとおもった。横浜に住んでいると駅には駅員さんが居て駅前にはコンビニがあるのが普通だと思っている。普通だと思っている事が常識ではない遠い場所に来ているのだと改めて思う。
やはりお腹が痛む。駅で降りればトイレはあるだろうが次の電車が来るのは30分後になる。この路線の電車は随分とのんびり走る。駅に着く度に小休憩する。列車待ちをしているそうで車内放送が頻繁にかかる。新幹線であれば駅弁を買う時間であろうがホームには駅弁を売る場所も人も居ない。
電車の座席は半分ほど埋まっている。電車好きの大学生グループと見える男だけの5人の集団がずっと喋っている。当たり障りのない会話の内容と声が一定の調子なので不快には思わない。彼らの関西弁を気持ちよく聞いていた。このぐらいの年齢の子達はどこに向かうのだろうか。まだ温泉を好き好んで訪ねるような年齢では無いかと思う。窓の外に田んぼが連なっている。冬だから何も植わっていない。土も雑草も乾いた茶色だ。悲しみや寂しさを呼び起こす景色が続いている。寂しい気持ちになるのは彼らが仲良く話しているからでもある。


城崎温泉では雪が降っていた。先程からの腹痛の原因も冷えたからだろう。城崎温泉から次の目的地の岡山までは5時間ほどの道のりがある。岡山では郷土料理と内田百閒さんゆかりの土地を訪ねるつもりでいたが城崎温泉でゆっくりすることにした。

鴻(こう)の湯という温泉に入った。入浴料700円にタオルが150円だ。内湯と露天風呂がある。硫黄の匂いは全くしない。昨日西成を歩き回った足の疲れも洗い流されたようで体が軽くなった。温泉は湯冷めが遅いというのを初めて知った。雪の街を歩いてもそれほど寒くない。
城崎温泉でも蕎麦を食べた。蟹が入って950円だ。


汁が澄んでいる。そばつゆと言うよりも上品な出汁の中にそばが浸っている感じだ。近所にこの蕎麦を出す店が欲しいと真剣に思う。ちなみに兵庫は出石の蕎麦なども有名だ。
そして夜に京都で家族と再開した。

久しぶりに会う甥の成長には驚いた。目線が僕と同じほどになっている。一般的には女の子の方が成長が早いと言われるが甥と姪には当て嵌まっていない。姪は高2で甥は高3だ。姪はつい1ヶ月ほど前にようやく化粧を始めたらしい。家族と会うのは5年ぶりだ。姉も姉の旦那もそれぞれ年を取った。僕も年を取っている。姪だけが前回会ったその日のままのような気がする。
甥も姪も電動自転車に乗っている。京都も横浜と同じく坂の多い土地だ。使用している電動自転車はどちらも10万くらいするそうだ。ウーバーの仕事を今後も続けるのなら僕も買うべきだろうが今は踏ん切りはつかない。

翌日は北野天満宮に初詣に行った。姉一家も今日が初詣だ。僕と行くのを待っていてくれた。

北野天満宮の出店で売られていた土手焼きだ。大阪名物らしい。横浜の酉の市で食べた揚げもんじゃを探したが無かった。
前回京都に帰省した時は京都の街並みを何だかみすぼらしく感じた。今回の帰省では空が広くとても美しい街並みに見えた。京都市では景観を守るために建物の高さに制限が設けられている。京都は小さく古い建物が多いからどこか陰気に見えたのだろう。建物を見るか空を見るかで印象の変わる街だと思う。
宇治の抹茶で作られた茶蕎麦は食べられなかった。京都に居る間はずっと食べ物があったからだ。
姉の家には3匹の猫が居た。2匹だと勘違いしていた。どの猫も警戒心が強くあまり懐いてくれなかったからもう名前は忘れた。猫カフェに居るような猫と家庭猫とでは性質が全く違う。
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