家系ラーメンのお店には2通りあり店でスープを1から作る店と工場で作られたスープを使う店がある。ラーメンにうるさい人は工場のスープは駄目だと言う。スープだけでなく麺にも色々と種類がある。製麺所ごとに個性があるらしい。製麺所に頼らず自分の店で作った自家製麺を使うお店もある。ラーメン玄人を気取りたいのならスープも麺も自家製の店に行けば良い。ここのラーメンは美味しいなとかここのはそれほど好きじゃないなとか僕はその程度の事を思う程度だが裏では随分と詳細なやり取りがされている。知識を溜め込んだからと言って料理の味が変化する訳じゃないがそういった知識を得るのが楽しいのは僕にも分かる。蕎麦と日本酒で僕も似たような失敗をした。好きな対象に就いて詳しく知りたいと思うのは自然の成行だ。

最近僕は俳句に興味を持った。今はネットで検索して有名な俳句を片っ端から見ている。有名な事が名作の保証とはならないが誰もが知っている俳句はそれだけ人々の関心を惹いている。だから傑作が紛れ込んでいる可能性も高い。そのように考えると世の中に数多く存在する俳句の中でも傑作とされる作品はあらかた鑑賞を終えたかと思う。今の段階をラーメンに例えれば素性の知らない麺とスープを食べて美味しいとか口に合わないとか言っている段階だ。ここから更に一歩踏み込むのであれば俳句を構成する成分に関して知らねばならない。

「梅一輪 一輪ほどの 暖かさ」という松尾芭蕉さんのお弟子さんの俳句が今まで目にした俳句の中で最も優れているように僕には思える。この先も勉強を続ければ梅一輪の俳句を超える傑作が僕の前に現れる可能性は高い。まだ見ぬ俳句では無く既に僕が目にしている松尾芭蕉さんや正岡子規さんの俳句の中に怪しい作品がいくつかある。現時点では梅一輪よりも下に見えている俳句が知識を得る事によって順位を増すのだ。この俳句はこのように書かれているから傑作なのだと言われるとなるほどそうかという心を僕も持つだろう。それを繰り返すうちに他人の意見でしか俳句を鑑賞できない自分が出来上がるかもしれない。そうやって他人の意見や鑑識眼を身につけると僕が全く関心を払わなかった俳句の中にも優れた作品がいくつも見つかるに違いない。自分の目だけで物事を見るのには限界があるからありがたい面もあるが反面それで良いのかとも思う。世の中には他人の考えを自分固有の物だと思い込んでいる人が大勢居る。僕も既にどこからが自分でどこからが自分じゃないのか分からない部分が多くある。美味しいとか美味しくないとか自分の舌で味わっている今の方が随分と幸せかもしれない。



今日は雨が降っているから仕事はお休みだ。朝から読書をして目が疲れたら休憩を挟み1日を過ごした。正月のセールで購入した書籍とゲームが未だ消化されず眠っている。順調に読んで遊んでも冬の間には片付かないだろう。退屈する暇が無いのは良い事だが手つかずの物があるのも心が落ち着かない。もっと早く読めば良かったもっと早く遊べば良かったと思うような作品と出会う機会は最近減っているがセールで購入した書籍とゲームの中に1つくらいは潜んでいるだろうか。今読んでいる書籍はあまり面白くは無い。横になって読むとすぐに眠くなるから椅子に座って読むがそれでも眠気がすぐにやって来る。放り出して別の本を読もうかとも思うが例えセールと言えども身銭を切って購入したのだからそんな事をするのは悔しい。

今日は相当冷え込んでいる。お手洗いに行くだけでも寒さで身が締まる。雨は降ったり止んだりして落ち着きが無い。兵庫県の城崎温泉で雪を見たけれど神奈川では未だ見ない。今日のような寒い日に雪が降らねばいつ降るのかという気がする。



世の中には面倒くさい物事が数多くある。一般的には男性よりも女性の方に手数がかかる物事が多いとされるが男にだってそれなりの面倒はある。ヒゲなんかは全く生える必要が無い。ヒゲ剃りと化粧の手間を同列だと言うつもりは無いけれどもヒゲ剃りもなかなか面倒だ。僕なんかは白いヒゲが生えてくるようになったので伸ばすとみっともない年齢になっている。かと言って白髪染めで毎回染めるのも手間だしヒゲは髪の毛よりも密度が薄く生えているからすぐに新しく伸びた白い部分が目立ってしまう。ヒゲを染めるよりもヒゲを剃る方が多少手間は少ないから面倒だなと思いながら嫌嫌剃っている。

髪を染めるのを辞めようと思った時期もあった。白髪は白髪のままに生えてくるに任せようと考えて放ったらかしていた。思い直して今は月に1度の頻度で染めているが心底納得して白髪染めをしている訳では無い。

人間誰しも平等に老いる。老いていく自分の外見をそのまま受け入れて楽しむ人が今よりもっと増えても良いような気がする。加齢と供に白髪も皺も増えるのが当然であるのに髪を染めたり肌に栄養を与えて誤魔化している。白髪を放置した頭をみっともないと感じるのは白髪染めを販売している美容会社や美容師の策略にまんまと嵌まっているのではないだろうか。

外見を衰えるがままに放置しても何も感じなくなる年齢はいくつだろうか。女性の化粧の場合だと30代で化粧を辞めるような人はほとんど居ない。40代もまだ大半の女性が化粧をしている。50になればどうだろうか。今まで世の中を見てきた僕の感覚だと化粧をしている女性と化粧をしていない女性の割合が50歳程度で丁度半々になるような気がする。自然のままありのままで生きている方が人間は美しいのではないかと考える時がある。

姉一家と初詣に行く際に姉が化粧をしている姿を見たがお茶を飲み終える前に終わった。昔は映画を半分見終わるくらいの時間が必要だった。姉ももう40になる。若い頃と比べて化粧の工程が簡略化されているのは少し寂しいような気もしたがそれで良いような気もする。

昨日白髪を染めた。かっこよくなって嬉しい。