近所の川沿いの道にサボテンが植えられている。
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ウエスタン映画に出てくるような正真正銘のサボテンだ。寿町にはガンマンは居ない。酔っ払いが大勢居るだけだ。この場所に何故サボテンが植えられているのか分からない。サボテンと聞くとメキシコなどの外国を連想するが日本でも割と一般的な植物なのだろうか。ホームレスにこの場所に寝床を作らせないための対策かとも一瞬思ったが他の場所にはサボテンが植えられていない。

今ではそばを通る度にサボテンを見てしまうようになった。トゲを抜いて焼いて食べたら美味しいのではないだろうか。



梅干しの消費が減少しているそうだ。僕は梅干しが好きだからたまに買う。梅干しを好むのは若者よりも老人に多いのは間違い無い。日本は高齢化社会だから梅干しの消費は増加しそうに思うが世の中は不思議だ。そもそもの人口が減っているのが原因なのだろうか。おにぎりの具は昔はかつおやツナマヨが好きだったが今では梅か昆布が好きだ。梅と昆布を好きになったのは寿町唯一のスーパーであるダモアさんには梅干しと昆布と鮭のおにぎりしか置いていないからである。お客として若者が来る可能性なんて一切考えていない。でもそのおかげで味覚の変化に気付いた。コンビニでしかおにぎりを買う習慣が無ければ未だに梅や昆布のおにぎりには手を出さずかつおやツナマヨおにぎりを食べ続けていた事だろうと思う。まぁそれはそれで良いのだが。

京都に帰省した際には甥の声変わりに相当驚かされた。ところが姉一家と甥本人はそれほどの変化を感じていない様子だった。毎日目にしている人が少しずつ変化しても認識するのは困難なのだろう。そう言えば僕にも声変わりの時期はあったが自分では何とも思わなかった。自分の事を良く理解しているつもりでも他人からの指摘で初めて気付く事もある。気付いていないだけで味覚以外にも沢山の変化が起きているのだろう。



年明けから既に半月が経過した。この調子だと1ヶ月経つのもあっという間だろう。そうこうしているうちにまた新年がやって来る。

最近の横浜は寒い日が続いている。春になれば近所を散歩して草花でも眺めようと思い1日1日を大切に(だらだらとして)過ごしている。

こち亀がネットで読み放題だと知ったので読んでいる。最近は俳句に関する本とか少し難しい本ばかり読んでいたので頭が固くなっていた。たまには漫画も読まないといけない。以前はゴールデンカムイという漫画作品が無料で読めた。漫画をあまり読まない僕のような人間は年に何回かの無料期間に漫画を読むだけで漫画欲は満たせる。次は進撃の巨人が読みたい。



このブログはライブドアと言う会社のサービスを利用して書いている。30代以降の人なら必ず名前を知っている会社である。

ライブドアのブログでは自分のブログが所属するカテゴリを選択する必要がある。ライフスタイル・絵日記・政治・ニュースなど色々とカテゴリが存在する。出来るだけ自分の運営しているブログと毛色の似ているカテゴリを選択するとそのカテゴリのブログを探している読者さんの目に留まりやすくなりブログのアクセスが増えるという仕組みとなっている。

カテゴリは更に細分化される。当ブログが所属している日記カテゴリだと恋愛・OL・サラリーマン・主婦・闘病記・田舎暮らし・シニア・無職などがある。どのような日記を書いているかで更に細かく分類されるのだ。

当ブログは日記カテゴリ内の独身枠にいる。この独身枠というのはなかなかくせ者達の集まる枠組みとなっている。独身の人達が運営するブログだから話題となるのは結婚であったり老後の心配であったり仕事の愚痴であったりが大半だ。暗い内容が多いし人生に悲観している人が多い。それが嫌でしばらくは日記カテゴリの日記枠に移動していたりもした。

だがたまに見ると良いもんである。もっとあなたの不幸話を聞かせてよという気分になる。料理の写真などを投稿しているブログもあるがそういったブログは見てはいけない。独身だけれども毎日充実していますアピールをしてくるから厄介だ。見るべきブログは記事のタイトルやブログ名から既に悲壮感が漂っているブログである。現状に満足しておらず何をやっても上手くいかないと毎日愚痴っているブログなら最高だ。仕事をクビになったとか恋人が出来なくて悩んでいるなど自分の悩みであれば深刻な悩みとなるが他人の悩みになった途端楽しく拝見出来る。独身の人達のブログを見た後に無職の人達のブログを見るのもおすすめだ。(食事の写真を載せているブログでも粗末な食事の写真なら見る価値はある。汚いテーブルや粗末なテーブルクロスが映っていると更に評価は上がる)記事の終わりに独身カテゴリのランキングが載っているからそこから他のサイトを見ることが出来る。

と言う訳で再度日記カテゴリ内の独身枠に戻ってきた。このカテゴリで希望に満ち溢れた日記を綴っていくつもりだ。



淀川で死んだクジラは船で引いていくのではなくクレーンで船に乗せて沖合まで運んだそうだ。これから海に沈める算段だとニュースで言っている。体調15メートルで体重は40トンにもなる。腐敗が進んでいると見え体内のガスを抜く作業を行った。今日中には海の底に帰るのだろう。ここからゆっくり時間をかけて自然に還っていく。全ての生物にこの工程が待っているのだが僕達はあまり意識して生きていない。

クジラは焦点の合わないとぼけた曖昧な目をしている。大自然を生き抜く者の目にしてはあまり似つかわしくないような気がするが少しばかりの厳しさが曖昧な部分に宿っているようにも思う。目に力を入れなければこのような目になるかとも思うが容易ではない。前後不覚に陥った酔っ払いの目にも似ているし寝起きの目にも見える。とても知性の宿っている目には見えないが何か深く物事を見ているような目でもある。活発な人間でこの型の目を持っている人はいないから大らかな性格をしているのだろうとは思うがあまり見つめられたい目ではない。



30も後半になれば食の好みが変わったり物の見方に変化が起きていると昨日書いたがあまり変化が起きていない物事もある。好みの女性の年齢だ。僕が20歳の頃は20代の女性なら恋愛対象だった。僕が30歳になった頃は35歳までの女性が恋愛対象だった。今僕は37歳だ。40歳くらいまでの女性となら気が合うように思う。

好みの女性の年齢に変化は起きていないと先に書いた。変化は起きているじゃないかと思うかもしれないがそうじゃない。恋愛対象として見る範囲は確かに広がっているが最も好みとする年齢は一向に変わらず20代の女性のままである。女性が男に文句を言いたくなる気持ちが分かる。