冬の間は鍋ばかり食べている。既に王道の鍋はほとんど食べたと思うがキムチ鍋には未だに手を出していない。好んで辛い物を食べる事を僕はしないからだ。辛いと美味しいは僕の中ではそれほど密接な繋がりを持っていない。普段は牛丼店で七味を使うくらいしか辛い物を口にしない。酒飲みは辛党と言われるが僕には当てはまらない。かと言って辛味を嫌いだと言うほどでもない。キムチ鍋程度の辛さなら味わいながら食べられると思う。たまには新しい味の鍋を食べようと考えた。
好きな鍋料理をランキングしたネット記事をこの前読んだ。キムチ鍋は2位だった。1位はすき焼きだ。7位辺りにおでんがいた。すき焼きとおでんを鍋として分類するのはおかしいような気もする。かと言って他に適切な料理も無い。おでんは煮物のような気もするがこのように言うとおでんは煮物では無いと言う人も居るだろうと思う。僕の大好きな水炊きは8位だった。意外に人気が無い。どのようなランキングだったか全てを思い出せないがちゃんこ鍋のような王道もあれば女性が投票したのであろう豆乳鍋などもランキングに加わっていた。
2位の実力がいかほどのものか早速見せて貰おう。水に溶かすだけのキムチ鍋の素をスーパーで買って来て野菜を煮た。

味噌鍋のように見える。攻撃的な赤さの汁になるかと思っていたから拍子抜けした。子供でも食べられるように加減がしてあるのだろう。これなら大丈夫だ。
最初の間は辛味が美味しいが食べ続けるうちに少しずつ喉に辛さが溜まってくる。卵を入れるとちょうど良い味になる。子供でも食べられるように辛さを抑えているのだろうと先ほど予想したがそうでも無いらしい。
ところで辛い(からい)と辛い(つらい)が同じ漢字なのは何か意味があるのだろうか。流石に辛党の人に失礼な気がする。
最近読んだ本に面白い事が書いてあった。「神様」を想像する時大抵の日本人は純白な衣服を身に纏い長いヒゲを生やした老人を頭に思い描く。だが戦前の日本人は違った。昔の日本人が想像する神様は頭髪を頭の左右両方で2つの団子のように縛り首に勾玉を下げた日本人か七福神に描かれるような姿だった。同じ民族なのに戦争を境に大きな違いが生まれている。現在の日本人が思い描く神様は外国からの輸入だ。日本人のアイデンティティを失ってしまっている。敗戦が無ければ神様は日本人の姿のままだったろうと思うと悲しい気持ちになる。
今週は仕事を頑張ると宣言しておきながら全く仕事に関する内容を書いていない。それは何故なのか?
ご想像の通りです。
好きな鍋料理をランキングしたネット記事をこの前読んだ。キムチ鍋は2位だった。1位はすき焼きだ。7位辺りにおでんがいた。すき焼きとおでんを鍋として分類するのはおかしいような気もする。かと言って他に適切な料理も無い。おでんは煮物のような気もするがこのように言うとおでんは煮物では無いと言う人も居るだろうと思う。僕の大好きな水炊きは8位だった。意外に人気が無い。どのようなランキングだったか全てを思い出せないがちゃんこ鍋のような王道もあれば女性が投票したのであろう豆乳鍋などもランキングに加わっていた。
2位の実力がいかほどのものか早速見せて貰おう。水に溶かすだけのキムチ鍋の素をスーパーで買って来て野菜を煮た。

味噌鍋のように見える。攻撃的な赤さの汁になるかと思っていたから拍子抜けした。子供でも食べられるように加減がしてあるのだろう。これなら大丈夫だ。
最初の間は辛味が美味しいが食べ続けるうちに少しずつ喉に辛さが溜まってくる。卵を入れるとちょうど良い味になる。子供でも食べられるように辛さを抑えているのだろうと先ほど予想したがそうでも無いらしい。
ところで辛い(からい)と辛い(つらい)が同じ漢字なのは何か意味があるのだろうか。流石に辛党の人に失礼な気がする。
最近読んだ本に面白い事が書いてあった。「神様」を想像する時大抵の日本人は純白な衣服を身に纏い長いヒゲを生やした老人を頭に思い描く。だが戦前の日本人は違った。昔の日本人が想像する神様は頭髪を頭の左右両方で2つの団子のように縛り首に勾玉を下げた日本人か七福神に描かれるような姿だった。同じ民族なのに戦争を境に大きな違いが生まれている。現在の日本人が思い描く神様は外国からの輸入だ。日本人のアイデンティティを失ってしまっている。敗戦が無ければ神様は日本人の姿のままだったろうと思うと悲しい気持ちになる。
今週は仕事を頑張ると宣言しておきながら全く仕事に関する内容を書いていない。それは何故なのか?
ご想像の通りです。
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