昨日は22時に1度眠った。だが睡眠を取ろうとして寝た訳じゃない。布団に寝転んで読書をしていたら部屋の明かりもそのままで眠ってしまったのだ。0時前に目を覚まして顔と歯を洗った。もう一度布団の上に横になっても眠気は引っ込んでいる。顔を洗ったのだから当然だ。眠るための準備を済ましてから布団に横になるべきだった。でも無理に寝る必要も無い。夜のお供を買いにお菓子の自販機に行った。
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寿町内に2つだけ存在する僕の憧れの自販機だ。
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カステラは普段食べないがこの前台湾カステラを扱うお店の前を通った時に美味しそうに思ったので買った。こちらは珈琲牛乳味のカステラだ。美味しいがカステラを食べると喉が渇く。カステラの中にクリームを入れれば良いのにと思う。そうすれば喉の渇きも多少は抑えられるだろう。もしかしたらそんな事をするのは邪道だと怒る人が居るのかもしれないしカステラの定義が破壊されカステラでは無い何かに変貌してしまうのかも知れない。カステラ生地の中にクリームが入っている菓子は何度か食べた記憶がある。確かな商品名を思い出せないがクリーム入りカステラと言う名称では売られていなかった。クリームが入った時点でカステラでは無い何かに成るのは間違い無いようだ。

僕は自転車を寿町内の自転車置き場に停めている。自販機に行く途中に自転車を停めている場所を通った。前カゴに空き缶が入っている。腹立たしい。これで3度目だ。寿町という場所柄仕方が無いのかも知れないが人の自転車のカゴをゴミ箱だと思っている輩が存在する。他の人の自転車カゴを覗くと丸まったティッシュが入れられている自転車もあった。鼻をかんだティッシュだろうか。自転車の所有者が使用済みティッシュを自分でカゴに入れた可能性もあるが自分の可愛い自転車にそのような扱いをする人はそうそう居ない。そうなるとやはり不届き者に不法投棄されたのだろう。僕の自転車カゴに入れられた空き缶と一緒に捨ててあげようかとも思うがティッシュに触るのは嫌だし自転車の持ち主が気付けば自分で処理するだろうと思いそのままにした。この自転車の持ち主も僕と同じ嫌な気持ちを味わうのだと帰宅後に思い至った。捨ててあげれば良かった。かと言って寒い中もう一度外に出ようとも思えない。僕も不届き者だ。

住んでいるドヤの自転車置き場に自転車を置けたらイタズラはされないだろうと思うが今は空きが無い。開いたら教えてくれるよう頼んでいるが半年間音沙汰が無い。たまに自転車置き場を確認してみるが確かに空きは無い。もう半年待つ間には空きが出るだろうとも思うが既に半年待って空きが出ないのだから更に半年待とうが同じ事だとも思う。気長に待っている。



使用したコップやお皿は毎回お湯で汚れを洗い流すだけだ。スポンジや洗剤は使わない。配水管を流れた洗剤は環境汚染の一因になるから使用しないという訳ではなく面倒だから使わない。自分の体を洗うのでさえ面倒くさいと思うような僕だ。食器を洗剤で洗わないのは当然の事だ。手がスポンジ代わりである。

でも他のドヤ住民の方々は共同の洗い場で一生懸命お皿やコップを洗っておられる。僕の使用しているお皿の1つはどれだけお湯で洗っても油のぬめりが取れないようになったしコップは3日に1度しか洗わない。世の中の独身男性は皆似たような生活をしていると漠然と思っていたがドヤ街の住人でさえお皿を綺麗に洗うのだから人として当然の行いを僕は出来ていないのかも知れない。

「湯に浸かった後に体を洗えば体は綺麗になるのだから風呂釜を毎日洗う必要は無い」と当事高校生だった僕の姉は言った。中学生だった僕は大変な感銘を受けた。確かに姉の言う通りだ。入浴の意義は己の肉体を清潔にする点にある。どれだけ汚れた風呂釜で入浴しようとも浴室を出る前に体を洗えば清潔は保てる。凄く合理的な発想だ。

ところがその姉が今や綺麗好きとなっている。何とも寂しい限りだ。だが姉が変わったように僕だってまだまだ変化をする可能性がある。今はあえて洗剤で皿を洗っていないだけだ。昨日素手で皿を洗っていたらスポンジ使わないの? と他のドヤ住民に言われたからこんな事を書きたくなった。