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夏休みの宿題は夏休み終了間際にようやく大慌てでやる小学生だった。夏の間勉強はほっぽり出してずっと遊んだり怠けている。宿題の存在を忘れている訳では無い。頭の片隅には常に夏休みの宿題をしなければならないという意識はある。今でも変わらないが僕は気の小さい子供だった。だから宿題をやらない事で周りの大人から怒られる未来を想像しては胃を抑えていた。それでも夏休み最終日間際にならなければ宿題をする気は湧かない。怠ける事によって引き起こされる様々な善くない未来を想像はするが解決に向かって行動する事はしない子供だった。

漢字の書き取りに計算ドリルに自由研究など夏休みの宿題は多岐にわたる。これらの宿題と夏休み残り5日程度という段階でようやく向き合う。夏休みの最後辺りはいつも多忙だった。特に最終日は僕の今まで生きてきた人生の中でもかなり忙しい日に分類される1日だった。親からは何度も注意をされたがこの癖は大人になった今も直っていない。

溜まった宿題を残された日数でとにかくやるしかない。年上の兄弟が居る家庭は多少の利点がある。兄弟が過去に研究した自由研究を模倣する事が可能だ。僕には姉が居る。姉には何度も助けられた。ある年の自由研究は姉が過去に実施したアリの観察をほとんどまるまる書き写して提出した。何年か前に姉が提出した自由研究であると教師に発覚するのを恐れたが心配無用だった。

漢字の書き取りも計算ドリルも自由研究も手を動かし続ければいずれは完成する代物だ。想像力の介入する余地は無いから宿題の中では簡単な方だった。最も困難な宿題が日記である。旅行に行った日以外は大して変化の無い日々が区切りも無くだらだらと続いているのが僕の夏休みだ。毎日の出来事を思い出して書いていくのは難しい。更には日記には毎日の天気を記入する欄が設けられている。同級生達の日記と僕の日記に記されている天気が異なれば一気に内容の信憑性が乏しくなる。何とも意地悪な宿題が日記だった。今はインターネットで過去の天気も調べられるが僕が子供の頃にはインターネットは無かった。姉の夏休みの宿題に日記がある年は問題無かったが無い年は大変だった。親や姉を頼りに何となくで天気を記入していた。かと言って頼られる方の親や姉も自信は無い。全てあやふやな状態で天気を記入していくしかない。1週間以上前の天気を正確に記憶している人などまず居ないのだから仕方ない。いっその事夏休みの間ずっと常夏のハワイにでも行っていた事にしたい。でもそれは出来ない。夏休みの間何度か同級生と会ってしまっている。そんな嘘は簡単に見破られてしまう。最終的にはダメ元で天気を記載するしかなかった。宿題に日記がある年は毎日の天気だけでもメモを取っておこうと夏休みに入った当初は毎回思う。だが上手くいった年は1度も無かった。

漢字の書き取りや計算ドリルを終わらして最後まで残っている宿題がいつも日記だった。天気の問題を乗り越えても肝心の日記を記すのも難事である。過ぎ去った過去を思い出し時にはねつ造し1ヶ月以上に及ぶ夏の日記を埋めていくしかない。ただひたすら創作とも現実ともつかない夏休みの内容をあまり短すぎないよう話を膨らませながら書いていく。誤字脱字を見返す余裕も無い。わざわざ文章に書き記す必要の無い平凡な毎日が書き記されていく。お前は一体夏の間何をしていたのだと自分に問い質したくなる。僕の日記を読む教師も退屈で大変だろうなと考える。そうは思っても面白い事を書く余裕は無いから1日1日の日記が雑文で埋まっていくのを喜ぶ始末だった。

子供の頃には大嫌いだった日記を今はほとんど毎日のようにブログに書いている。いつもブログの更新をするのは大体21時前後なので毎日19時頃になるとそろそろブログの更新をしなければと考え始める。夏休みの最終日辺りが今は19時へと変化している。かと言って更新する記事は19時の段階である程度完成しているから後は何度か読み返す程度で投稿出来る状態になっている。何事も後回しにする性格は健在だが小学生の頃のように焦って文章を書く機会は無くなっている。この先の人生で宿題をさせられる機会も無いだろう。好きなだけ怠けていられる今が好きだ。