僕には外出を遠慮する時間がある。9時から16時の時間だ。何故外出を控えるかと言うとその時間には帳場さんがドヤのフロントに居るからだ。何故帳場さんを避けるかと言うと真面目に働いていないのを知られるのが嫌だからだ。昼の間に頻繁に出歩いてこいつあまり働いていないなと思われるのは心外だ。
ドヤを出るには帳場さんが居るフロント前を通る必要がある。一応自転車置き場を通って外に抜ける道もあるにはある。だが自転車置き場が満車のため僕の自転車は別の場所に停めている。自転車置き場に用の無いはずの人間が出入りするのは余計なトラブルの種になる可能性がある。
そうなるとやはりフロントの前を通る必要がある。不審でない程度の早足でフロント前を通り抜ける。けれども帳場さんがこちらを見ているかは気になる。横目で見る。そうなると目が合うから挨拶をしないといけない。そんな事を繰り返していると昼の間ずっとドヤに居る怠け者という印象を持たれるような気がする。僕が怠け者であるのは間違いないが自分で言うのと他人に言われるのとでは全く意味合いが異なる。自分で言うのは自虐であるから多少のおかしみがある。他人から指摘されるのは説教だ。笑える余地が無い。僕は人から怠け者と言われるのはご免だ。
寿町に集まる人間というのは皆何かしらの傷を持っている。欠点と書くと自分自身何か嫌な気持ちになるし失礼な物言いにもなるから傷と書く。
寿町に来る人間の中には本当に傷を負っている人も居る。そういった人達は福祉の世話になって生きている。世の中には生活保護を批判する人も居るが寿町においては彼らこそが真っ当な住民だ。
僕は保護を受けていない。でも傷を持っているから寿町に居る。僕の場合は怠け心が傷だ。保護を受けていないのにわざわざ寿町に住むような人達はやはり何か傷がある。
僕も生活保護を受けていれば帳場さんが居ようがお構いなしにドヤの出入りが出来るだろう。国から保護が必要だと認められているのだから水戸黄門様の印籠を持ち歩いているようなものだ。働いて生活が営めない身分であることを国が証明してくれる。ところが帳場さんは僕が保護を受けていない事を知っている。最初にドヤに住む時には恐らく全住人が保護を受けているかこの先受けるのかを確認される。僕は保護を受けていないから怠けずに働く必要がある。でも怠けてしまう。
とは言いつつ僕だってちゃんと毎日人の役には立っている。共有部分の清掃は毎日お掃除の人が外部から来てやっている。廊下もキッチンもお手洗いも全て毎日綺麗に掃除をしてくれる。各階にはゴミ箱が設置されていて日々の生活ゴミはそこに捨てれば代わりに収集して出してくれる。何ともありがたい存在だ。悪い仕事をする人間が世の中に増えている昨今だが仕事というのは人の役に立った分だけ自分のお金が増えるのが真っ当だから彼らはとても良い仕事をしている。
実はそんな彼らのお手伝いを僕もしているのだ。キッチンに設置されている電子レンジの皿も清掃員の方が毎日拭いているようでたまに皿が普段の位置からずれている時がある。その状態で電子レンジを使用すれば皿が内部で干渉してがたがたと物騒な音を立てる。
電子レンジを使用する際にじっと電子レンジの前で待つような人は少ない。大抵は1度自室に戻ったりお手洗いに用を足しに行ったりする。皿のずれた電子レンジは1人になった途端に勢いよく暴れ出す。自室に居る人は電子レンジの愚行に気付かないから問題は無い。可哀想なのはお手洗いに入った人だ。お手洗いからだとキッチンの電子レンジの騒動が聞こえる。慌ただしく用を足して電子レンジの元に駆けつけ皿の位置を調整する人を何度か見かけた。
そうならないようにその皿を直すのが僕の仕事だ。他の階の事は知らないが自分が住む階に関しては僕が毎回皿を直している。人の役に立つのが仕事の本質だ。僕はとても良い仕事をしている。
しかし最近は皿がずれている事が全く無くなっている。誰かが指摘するか清掃員の人が自ら気付いたのだろう。僕は皿調整の仕事を失職した可能性がある。明日は皿がずれていると嬉しいがどうだろうか。僕が怠けるための免罪符が無くなったようで不安で仕方がない。
ドヤを出るには帳場さんが居るフロント前を通る必要がある。一応自転車置き場を通って外に抜ける道もあるにはある。だが自転車置き場が満車のため僕の自転車は別の場所に停めている。自転車置き場に用の無いはずの人間が出入りするのは余計なトラブルの種になる可能性がある。
そうなるとやはりフロントの前を通る必要がある。不審でない程度の早足でフロント前を通り抜ける。けれども帳場さんがこちらを見ているかは気になる。横目で見る。そうなると目が合うから挨拶をしないといけない。そんな事を繰り返していると昼の間ずっとドヤに居る怠け者という印象を持たれるような気がする。僕が怠け者であるのは間違いないが自分で言うのと他人に言われるのとでは全く意味合いが異なる。自分で言うのは自虐であるから多少のおかしみがある。他人から指摘されるのは説教だ。笑える余地が無い。僕は人から怠け者と言われるのはご免だ。
寿町に集まる人間というのは皆何かしらの傷を持っている。欠点と書くと自分自身何か嫌な気持ちになるし失礼な物言いにもなるから傷と書く。
寿町に来る人間の中には本当に傷を負っている人も居る。そういった人達は福祉の世話になって生きている。世の中には生活保護を批判する人も居るが寿町においては彼らこそが真っ当な住民だ。
僕は保護を受けていない。でも傷を持っているから寿町に居る。僕の場合は怠け心が傷だ。保護を受けていないのにわざわざ寿町に住むような人達はやはり何か傷がある。
僕も生活保護を受けていれば帳場さんが居ようがお構いなしにドヤの出入りが出来るだろう。国から保護が必要だと認められているのだから水戸黄門様の印籠を持ち歩いているようなものだ。働いて生活が営めない身分であることを国が証明してくれる。ところが帳場さんは僕が保護を受けていない事を知っている。最初にドヤに住む時には恐らく全住人が保護を受けているかこの先受けるのかを確認される。僕は保護を受けていないから怠けずに働く必要がある。でも怠けてしまう。
とは言いつつ僕だってちゃんと毎日人の役には立っている。共有部分の清掃は毎日お掃除の人が外部から来てやっている。廊下もキッチンもお手洗いも全て毎日綺麗に掃除をしてくれる。各階にはゴミ箱が設置されていて日々の生活ゴミはそこに捨てれば代わりに収集して出してくれる。何ともありがたい存在だ。悪い仕事をする人間が世の中に増えている昨今だが仕事というのは人の役に立った分だけ自分のお金が増えるのが真っ当だから彼らはとても良い仕事をしている。
実はそんな彼らのお手伝いを僕もしているのだ。キッチンに設置されている電子レンジの皿も清掃員の方が毎日拭いているようでたまに皿が普段の位置からずれている時がある。その状態で電子レンジを使用すれば皿が内部で干渉してがたがたと物騒な音を立てる。
電子レンジを使用する際にじっと電子レンジの前で待つような人は少ない。大抵は1度自室に戻ったりお手洗いに用を足しに行ったりする。皿のずれた電子レンジは1人になった途端に勢いよく暴れ出す。自室に居る人は電子レンジの愚行に気付かないから問題は無い。可哀想なのはお手洗いに入った人だ。お手洗いからだとキッチンの電子レンジの騒動が聞こえる。慌ただしく用を足して電子レンジの元に駆けつけ皿の位置を調整する人を何度か見かけた。
そうならないようにその皿を直すのが僕の仕事だ。他の階の事は知らないが自分が住む階に関しては僕が毎回皿を直している。人の役に立つのが仕事の本質だ。僕はとても良い仕事をしている。
しかし最近は皿がずれている事が全く無くなっている。誰かが指摘するか清掃員の人が自ら気付いたのだろう。僕は皿調整の仕事を失職した可能性がある。明日は皿がずれていると嬉しいがどうだろうか。僕が怠けるための免罪符が無くなったようで不安で仕方がない。
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